フィギュアスケートという競技の勝敗は、試合前にある程度予想がついてしまうところがある。
八百長というのではないが、試合前にある程度序列のようなものがざっくりと決まっていて、あとは当日の出来栄えなどによって最終的に勝負が決する。
今回のオリンピックでいえば、男子のフィギュアスケートだと、ほぼ同内容のジャンプ構成だと羽生結弦とネーサン・チェンの勝負は、それぞれパーフェクトに成功すればネーサン・チェンに軍配が上がりそうだった。
それで、羽生結弦は「4Aに挑戦する」という選択をしたのだと私は思う。
もちろん、「最高のチャレンジをする」という側面もあった。それもオリンピックの舞台では大事な一つの要素ではある。
つまり、「4年間の集大成」を披露する場でもあるということだ。
そして、もしも4Aに成功し、パーフェクトに滑れば羽生結弦選手は勝てる。
ところで、フィギュアスケートは音楽を表現する種目でもある。
私は羽生結弦を応援しない非国民の一人だが、平昌オリンピックの羽生結弦選手のプログラム「SEIMEI」は素晴らしく、大好きなプログラムだ。
摩訶不思議な術を持っていたという安倍晴明を描いた映画の音楽で、そのテーマが氷上の尋常でない技を繰り出す羽生結弦の姿にダブり、最初のポーズから最後のポーズまでぴたっとはまっている。
もうこれ以上のプログラムに巡り合えることはあるまいと思っていたら、昨年の羽生結弦選手のフリープログラム「天と地と」は、更に度肝を抜かれた。
スピンも天を仰いで回るスピンとうつむいて地を見ながら回るスピンがある。
高速で滑るスケートも、地を這うように滑るところがあるかと思うと、身をそらせて天を仰いで滑っていく「イナバウアー」がある。
ジャンプ、それこそまさに地を離れ天に向かって飛ぶ動作。
選曲の妙もあり、これは「SEIMEI」を越える名プログラムだと感じた。
特に昨シーズンに滑った「天と地と」はジャンプも全部クリーンでプログラムの良さを存分に感じることができた。
北京オリンピックでは、この素晴らしいプログラムを世界の人々に見ていただける絶好の機会だった。
にもかかわらず、「勝負」にいったことで衆目が「4A」に移ってしまい、プログラムの素晴らしさに注目がいかなかったことは大変もったいなかったと私は思っている。
そういう意味では、選手自身が注目を「4A」に持っていったことが、逆効果になってしまったかなと思う。
羽生結弦選手も「4A」を含め前半でジャンプ二つミスする結果となった。後半のジャンプを全て決めたのはさすがだった。
メダルを獲得した3人は、後半のジャンプを完璧に決めた者がいなかった。
つまり、オリンピックの舞台で3人ともプログラムをクリーンに滑ることなくメダリストになってしまった。
高難度のジャンプに挑戦するのはいいが、3人とも完璧にできなかったということはかなり残念なことだ。
高難度になり過ぎて誰もクリーンに演じられないのであれば、今のこの「ジャンプ競争」にどっかで歯止めをかけないといけないのじゃないかと私なんかは思う。
もしもそう考えると、オリンピック後、来年?のルール改正でまた何かの変化があるかもしれないなと思う。
どうなることかはわからない。
けれど、「ジャンプなどの技術のみで競う」のであれば音楽もいらないし、振り付けもしなくていい。
やはりそういった芸術性があってこそのフィギュアスケートだと思うので、来月の世界選手権では素晴らしい表現を見たい。
特に宇野昌磨選手は彼自身もちゃんとプログラムを表現したいと言っていた。
期待しよう!
仔羊おばさん