日本語学校で教師をしている時、「大切なもの」に「健康」を挙げる学生は多かった。
で、そういう価値観に触れる度、あーそういえば子供のころからワタクシも長年そう思っていたなあ、と思い出すことが多かった。
命は大事
って考えると、その命に直結する「健康」も当然大切に考えてしかるべきですもんね。
ワタクシもずーっとそう考えていました。
糖尿病になったのは40歳くらいの頃でしたけど、さすがにその時はしっかり落ち込みました。
泣いたことも覚えています。
だけども当時の血糖値なんて、今のワタクシと比べたら、まだ全然健康に近くて(もし今HA1cが5.7とかなら主治医はワタクシを激賞するであろう。今は6.8がいいとこ)、
へっ! なんでそんな数値で落ち込まないかんの?
(。´・ω・)?
ぐらいだったんですけど、でも自分の「健康が永遠に損なわれた」という事実は重かったですよねーーーー。
あれからもう20年以上になるわけ。
「幸福」って不思議で、例えば今のワタクシが次の検査で
「HA1cが6.2でしたよ」みたいな結果だったら、結構1日にやけて過ごすだろうと思う。
(^^♪
ニュースや何や見るにつけ、別に血糖値が全くの正常で、健康に何らの不安もなくても、人生に絶望してしまう人もいるし、世の中を恨んで無差別殺人やテロに至る人もいる。
私の立場(糖尿病患者)からしたら、「その膵臓私にくれへんかな?」とうらやむ、健全な膵臓を持っていたからって、その人は幸福を感じられるとは限りません。
きっとその方にはその方なりの苦しみがあって、「それならあんたの幸福な境遇をくれよ!」と言われちゃうかもな(統合失調症の息子強直性脊髄炎の夫がもれなくついてくるぞ)。
結局、
隣の芝生は青い
ということなのかな。
糖尿病患者としては、常に糖質制限をしていて、常時「飢えている」んですけど、そうすると「ごくまれに食べる甘いもの」が超絶おいしかったりします。
幸福って思いこんだ者勝ちじゃないですかね?
糖尿病は目立った自覚症状がない、と言われています。
代表的なのは「倦怠感」とかいうんですけど、HA1c5.5以下(健康な方の数値)に25年近くなったことがないワタクシ、おそらくはですけど、きっと毎日「だるい」。
今ワタクシのHA1cって6.7~7.0くらいですからね。
でも、ずーっとその数値だと「だるい」を「だるい」とも思わず毎日暮らしています。
本当に自分が幸せかどうかはさておき、
自分は幸せだ。
と思い込めばよいということでしょうか。
(それこそが難しいとは承知しております……)
まあ、そんなこんなで
健康じゃなくても意外にも人は幸福でいられます。
( ̄ー ̄)
一方で
健康でも人生、しんどい時はしんどい。
てなことで。
仔羊おばさん