タレントの山田邦子さんが
キャンサーギフト
というものについて語っておられるのを聞いたことがあります。
これは「がん」という、あまり歓迎されない病(やまい)にかかってしまい、悲しんだり苦しんだりする中、しかしながらそれまでの「生き方」を見直すことができたり、それまでならチャレンジしなかったようなことにチャレンジする力を与えてくれたりするものを指します。
山田邦子さんは、それまで車一辺倒だったのが、バスに乗るようになったり、それまでの人生でやってなかった趣味に出会えたりというような体験を紹介してくださっていました。
考えてみるに、ワタクシも糖尿病にならなかったらきっと「糖質中毒」だったと思うし、栄養とか運動とかに関心を持ってなかったかもしれない。
不自由も大きいけれど、じゃあ得るものがなかったんかと言うと、一方で得るものがあったのも事実です。
夫の難病も、それ自体は歓迎したり喜んだりはできないもんですけど、まあ素直に病気があっても仕事がんばってるのは偉いなとかワタクシも思う時がありますし、普通に働いてるだけでも「妻からの賞賛」が得られてると考えると、いわゆる「ギフト」は存在するのかなと思う。
息子の統合失調症も、確かに今の「嘆き」はそこからきてるのはきていますけど、一方で「障がい者からの目線でものを考える」というチャンスに恵まれたとも言える。
それはそれで、視野も広がったわけだし、少なくともこの病気で苦しんでる人がこんなに多くいたんだって目から鱗の発見もあった。
完璧にはできないけど、こういう疾患を持った方にどう接すればよいかとかを少しは知ることができたと思うし、医療の進歩について接する機会も得られたし、この病を通じて人の温かさに触れることもできたと思う。
家族教室で知り合いになった方々もそうだし、高校の同期や大学時代の友人なんかもこれをきっかけに旧交も温めることができた。
自分も「糖尿病」という持病を抱えた時はそこそこな絶望に涙を流しましたけど、息子が統合失調症にかかっても少しは耐性ができてたとも感じます。
良し悪しがあるとは思いますけど、病気でも「あーこの子かわいそおおおお」みたいにはなんなかったです。
まあ、親からたいした同情が得られないのは、息子にしたらちょっと寂しいかもしれませんが。

愚痴れる友人がいることは私にとってとっても大事だな。
安心して愚痴が言えると、なんか現実に向き合う気持ちもちょっとは出てくるし、私自身の人生もそんな悪くはないかもと思える。
イチバン問題なのは、そういう愚痴も口にすることがしんどい時があることかな。
だから、無理してでも何かを正直に話すようにしている。
すると、愚痴ばっかり言ってる友人の気持ちがちょっとはわかる気もして、それなりに私も成長したのかなと思う。
( ̄ー ̄)
やっぱ「ギフト」はあるな。
仔羊おばさん