日本代表監督も務めたイビチャ・オシム監督が亡くなられました。
監督の言葉からは学ぶことがとても多かった。
サッカー選手じゃなくても、です。
特に印象に残るのは内戦に巻き込まれた経験をお持ちだったこと。
家族は国内にいた。
監督はチームを率いて海外にいた。
それから長期に渡って再会がかなわなかったという体験をお持ちでした。
うちも夫が外国人で当時は頻繁に出張で自国などに帰っていましたから、オシム監督の例を引き合いに出して、子供たちに結構言い聞かせました。
すぐに会えると思っているから海外と行き来する。
でも、再会できない場合もあるから覚悟をしてね。
実は戦後の台湾でも、そういう例は結構あって、戦後大陸から台湾に渡ってきた大陸出身者には同様の体験をした人がたくさんいます。
彼らの子供が私と同世代で、私が台湾にいた時台湾の友人が親御さんのそういう体験を教えてくれました。
また帰れると信じているから自国を離れるのですが、ある日突然帰れなくなる。
( ̄ー ̄)
今、ウクライナを見ていてもそうですから。
オシム監督と日本は縁があったのだと思います。
東京オリンピックに出場してゴールを決めた話。
自転車で出かけて、そこで出会った日本人家族が梨をふるまってくれた話。
「ウバガイさん」という方がオシムさんを口説き落としてジェフ千葉の監督に招聘。
他の方と「ウバガイさん」は、情熱が違ったそうです。
そして「考えて走るサッカー」
今もあのサッカーが結実していたらどんな日本代表になっていたのかと夢見るサッカー評論家は少なくありません。
ありがとう。
心からお悔やみ申し上げます。
仔羊おばさん