病気でHappy

ど貧乳で糖尿病でも楽しい生活送ってます!

私のウェディングドレス姿を見て泣いたたった一人の人

今週のお題「おかあさん」

 おかあちゃん、と呼んでいる。御年(おんとし)82歳。

 昭和11年生まれ。2013年にお父ちゃんが亡くなってから、独り暮らしをしている。

 まあまあ元気だけど、歩くのはゆっくり伝い歩きになったし、血圧も高いし、「衰えてきてるー」「もう、だんだんなあ」と、弱気な発言も多くなってきた。

 最近はそんなお母ちゃんだが、若い頃は、お父ちゃんとすごく喧嘩を繰り返していた。結構気の強い母であった。

 基本はネアカ。気丈!

 肝もすわっている。空襲も疎開も経験してるから、当然か。

 私は父とすっごーく仲が悪かった。そんな私とお父ちゃんの間に立ってくれてた、気も強いけど、それなりにクッションにもなってくれたお母ちゃん。

 「仕事しんどい」とか、(子育て中)「ほんま大変」とか、「お金ない」とか愚痴っても、

 ほんまに大変やんなあ。それでもなあ。

 笑って生きていかなあかん!

っていっつも言われたな。

 そのおかげか、私、結構、( ー`дー´)キリッ

とした性格になったと思うよ。

 小学校の頃、私は髪を長く伸ばしてた、毎日、髪の毛くくってくれた。その頃は、自分では気づかんかったけど、私って髪の毛がチョー少ない子供で。かなり長いこと、増髪剤使ってくれてたな。でも、結局髪の毛は少ないまんま大人になって、中年になって、もう50代になってしもた。

 あたしは、今で言うたらディズニーランドで小さい女の子たちが着せられてるような「ひらひらのプリンセス服」に憧れてた。当時そんなもんはなかった(昭和40年代)けど、なんか、それに近いような、例えばピンクの服とかちょっとレースついてるとか、そんな服が着たかった。服買いに行った時、「どれがええ?」と聞いてはくれるけど、もちろん高い服は買われへんし、あたしが赤い服選ぼうとしたら、「お母ちゃんそんなん嫌いやねん」って言って、買ってくれたのは茶色、紺、白とかそんな服やったな。(*´Д`)

 お母ちゃんは結構きれいで、「胸おばけ」みたいな豊乳ではなかったけど、貧乳でもなかった。

 でも私はど貧乳で、「奥手」で、年頃になっても男っ気もなく、クリスマスケーキだなんだ言ってる世の中(たいてい24歳までに結婚する時代だった)に、私はいつまでも結婚できなかった。

 26くらいから、お父ちゃんもお母ちゃんも焦ってたな。

 でも、あたしは「どこ吹く風」で、台湾へ。「絶対に台湾で恋愛したらあかん」って条件で、見合い用の写真を撮って行かせてもろたな。約束守って恋愛せんと2年で帰ってきたで。

 帰国後も、全然結婚とは縁遠かった。

 30前になったある朝、突然お母ちゃんは、「あんた、もう結婚はせんでええから、子供だけ産み。悪いことは言わん。お母ちゃんぐらいの年になったらな、子供産んでへんかったらなりやすい病気とかあるから。」って言いに来た(爆)。今から思うと笑えるな。

 結婚せんでええから子供だけ産み? (。´・ω・)? ハテナ?どういう意味?

 

 でも、それからほどなくして縁があって、今のダンナと結婚することになった。

 結婚式は、いつも行ってる教会でやった。メイクも教会のメンバーにしてもらって。ドレスも友達に借りた。

 あたしはお母ちゃんと違って容姿にも恵まれず、貧乳というだけじゃなくて、顔も10人並み以下。化粧をきれいにしてもらって、「綺麗ね」って言ってもらったけど、それって「人より綺麗ね」じゃなくて「いつもよりはましね」って意味だって自分でわかってた。

 ドレスの着付けも化粧も終わって式の前、花嫁の控室にお父ちゃん、お母ちゃんが来てくれた。来た方を振り向いたら、お母ちゃんが泣いてて。

 目が真っ赤やったよな。

 あたしはそんなお母ちゃんを見て、逆に笑ってしまった。

「お母ちゃん、ほんまにもう」(^◇^)

 お母ちゃんが「娘のウェディングドレス姿を見て泣く」という、世の中の風習「どはまり」なことをするとは予想もしてへんかったわ!

 それに、泣くほど特別綺麗な花嫁でもなかったし。

 でもなあ。

 口のとんがった、美人とは程遠い顔、貧乳、そして髪の毛も人の半分くらいしかない貧相な私のウェディングドレス姿を見て、泣くほど感動できるのは、やっぱお母ちゃんだけや。

 苦労して、しんどい思いして育ててきたんやもんな。それくらいの感動があってええよな。

 ってなんか他人事…で、すんません。(;^ω^)

 

 これからも笑って生きていこな。

 お互いな!

 仔羊